女性社長インタビューVol.21アクシス・クリエーション 代表取締役社長 田中延枝さん
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成長する国、中国(上海)で起業。
上海で起業して3年目のアクシスクリエーション田中社長。海外での起業を10代から決意していた田中さんに実際に起業に至るまでの経緯や起業後の苦労についてうかがってきた。前編では、起業前の道のりについてお話いただいた。 ※前後編の2回に分けてお届けします。
19歳からの夢が中国での起業!
上海で起業して約3年が経ちました。10代の頃から中国で起業をすることを夢見て、紆余曲折を重ね、現在は中国人の7歳下の女性を経営パートナーと12名のスタッフ。そして200名を超える外注パートナーとCG制作の仕事をしています。
小さい頃の私は本好き・メカ好きの子供でした。とにかくバイクが好きで、19歳の頃の夢は、「中国でバイクメーカーを創ること」。小さい頃から少し周囲と考え方が変わっていたかもしれません。母の影響が大きかった。海外を若い頃から知っている母は、とにかく自由に姉妹を育ててくれました。これが普通だからとか周囲がこうしているからという既成概念をあまり植えつけなかったんですね。だから高校も名門校に入学しながら3ヶ月で周囲と合わないからと退学してしまいました。高校中退した後大検を取って美大に進学したのですが、その頃の日本はバブル末期の成熟期であまり夢を感じませんでした。そんな中、テレビで見る中国は本当に活気があった。しかも自転車文化。きっと将来は、自分が好きなバイクが中国で伸びるに違いないと思い込んで夢をみていたんです。成長性のある国で自分が好きなバイクを扱えたら!って。高校中退後、最初に働いたのが中国雑貨店だったこともあり中国には縁を感じています。
母・姉の言葉が人生の岐路に大きな影響
家族からのアドバイスが人生の2度の岐路に影響しています。高校を中退しアルバイトをしながら大検を受け合格したものの、その後の進路について悩んでいた頃、母から「あなた美大に行ったら?」と。そこで大好きなバイクのデザインができればと、美大(短大)でプロダクトデザインを専攻したんです。その頃の夢が中国でのバイクメーカー立ち上げでした。しかし、卒業時期はすでに不景気で就職先がない。いっそ、バイクデザインの本場イタリアに行って勉強しようか。と悩んでいた私に2度目の転機が。
今度はメルボルンで働いている姉からの一言。「海外に行くなら多人種のいるオーストラリアに来れば。」と。どうせ、英語もイタリア語も中国語もできない私。まずはオーストラリアで英語の勉強をし、イタリア人や中国人など世界各国の友達を作りなさい。という姉の言葉でした。なんだか納得してしまったんですね。そこでオーストラリアの工科大学に入学し4年のときを過ごしています。この二人の言葉は本当に大きかった。オーストラリアでは世界を知り、本当に視野が広がりました。家族って身近で本当に私のことを心配してくれている。2人のアドバイスが岐路となったんです。
中国での仕事にむけて一歩ずつ経験を積んだ日本での仕事
オーストラリアで4年間過ごした25歳の頃、日本に帰国。3年日本で経験を積んだら中国で起業するつもりでした。もちろん中国への夢は諦めていません。
工業デザイン事務所に就職し、たまたまバイクメーカーの新規事業提案の仕事に携わったんです。これは大きな経験でした。バイク市場は、発展途上国でも自動車産業が伸びており、しかも環境問題もあり向かい風。今後尻つぼみになる可能性が高いため20年後の新規事業を考えているんです。その時、私のバイクメーカー立ち上げの夢は封印しました(笑)。だって世界的なメーカーが次の事業を考えているんですから。後発の私に勝てるわけがない。
そこで男性中心社会のバイクデザインの仕事から離れ、女性ならではの感性を生かすなら「小物だ!」と。少しでも中国に近づきたくて香港系の雑貨メーカーに転職、そこからノベルティギフト商社に送られ、企画デザイン・設計の仕事をしました。ノベルティギフトは、周期が早い業界なので数をこなすことで経験を積みました。企画・デザイン・設計と経験をしたので中国現地の生産部門を担当したいと希望を出しましたが通らず退職したのが30歳での決断です。もともと3年限定のつもりが5年近く日本で働いていましたから。とにかくキャリアが活かせなくても中国に行くことにしました。
上海で起業。グローバルな視点で。
上海で現在活躍中の田中さん。前編では、起業までの経緯を。今回の後編では、実際に上海での創業から経営における苦労や、オフショア開発で顧客のリピート率9割を超える満足度の高いサービスのポイントを聞いてきた。
上海で起業をするということ。
もう後戻りしたくない、という30歳の決断でした。なのでキャリアを活かす事も語学が不十分な事も考えず、場所も選ばず、とにかく中国での仕事を探しました。最初に見つけたのは福建省の大学での日本語教師の仕事。それで日本での仕事を退職したのですがビザの関係で結局半年先送りになってしまったんです。でも、もう待てない。他の仕事を探して同じ福建省での日本語教師のボランティアの仕事に就くことになりました。以前北京・上海・大連には下見に行っていました。その時自分には上海が魅力的に感じたんですね。なので福建省に行く前に上海に寄り、上海の人材紹介会社に登録をしたりしました。そこで出会ったのが契約社員でノベルティグッズの生産管理をする仕事。勤務地は上海。渡りに船ということで、福建省に行ってから1ヶ月でまた上海に戻り、即入社しました。ところが1年経験した後、契約更新を断られたんです。「日本に戻って社員になるか、同業種で独立してパートナーになるか、完全独立か選べ」と。日本には戻りたくなかったので選択の余地がなく、後押しされる形で起業する運びとなりました。
中国で外国人が起業をするのは、かなりハードルがあります。まずは、教育・思想に関わる分野はNG。共産党支配の下なのでしかたありません。前職からアイデアとしてあったCG制作やCAD図面のアウトソーシングから始めることにしました。上海で知り合った7歳下の親友をパートナーとして選びました。私の熱意に打たれた彼女は「若いから失敗しても失うものはない、一緒にやってみたい」と言ってついて来てくれました。彼女は、現在も強力な経営パートナーです。
中国人パートナーとゼロからスタート。
決意をしたのはいいが強みも資本もなければクライアントもいない。本当にゼロからのスタートを切る形になりました。熱意だけで頑張った時期です。CG制作は中国のデザイナーを使うと日本の価格の1/5?1/10の値段でできました(当時)。しかし日本に営業に行くお金もない。資金はたったの60万でしたから。中国で営業をするルートもない。ということで、「営業をしない」というのが最初に決めたことです。困っている人を探す仕事から(笑)。最初に試みたのは、ブログとこれまでの個人人脈600名へのメーリングリスト。「上海に仕事を出すことに対する市場調査をしたい!」と呼びかけたんです。自分のキャリア、業界知識、スキルを明記し、パートナーは中国人で日本語も堪能であること。などを書いて送ったところ協力者が数人現れ、そこからマンション販売用のパース図制作などの仕事に繋がりました。あと、ブログは熱心に書いていましたね。今はなかなか書く時間がありませんが。実はブログから受注し、大きなクライアントになっていただいた会社もあります。女性経営者としてよかったのは、プライドを捨て、さらけ出して「実績はありません。協力してください」と始めにちゃんと言えたことかもしれませんね。
グローバルなオフショア開発の大変さ。
現在、スタッフ12名は全員中国人。外注パートナーは約200名いますが、大半は中国人クリエイターです。社内は、中国語、日本語、英語の3ヶ国語が飛び交っています。そしてクライアントの8割は日本企業。他にアメリカや中国の日系企業、タイやスウェーデンの会社と取引が広がっています。
インターネットがあれば、広い中国の中でも打合せが可能です。海外とも会話ができます。ただ難点もあり、クリエイターからの納品が遅れて正月にそのまま飛行機に飛び乗り人便で届けた事もあります。ハンドキャリー便も成田どまりなので空港まで取りに行ってもらったり。オフショア開発では、対面していない人たちをいかにマネジメントするかが肝です。また、日本に納品するために日本人好みのデザインであるかなどのクオリティチェックはもちろん弊社の肝です。
なので、クリエイターさんたちには日本のアニメを見てもらったり勉強もしてもらっています。支払いが遅れているクライアントの取立てのために帰国をしたこともあります。日本で仕事をする時は、日中はクライアント周りをして打合せ。夜は中国のスタッフとインターネットで打合せ。帰国しているときは特に時間がありません。距離を埋めて対面することでしか対応できないことがある一方で、距離があってもインターネットを使えばできてしまうこともある。この二つを同時にこなすのは大変ですね。
グローバル企業としての強みと今後の目標。
弊社の核は、G-COS(Global,Creatibve,Outsource,Support)です。起業当時はなんでもやりましたが、3年が経ち存在価値が固まってきました。グローバルな視野でクリエイティブな仕事をオフショア開発で請けおうコーディネーターということです。建築系やゲームのアニメーションです。WEB制作分野ではセカンドライフなどの3Dやユーザーコミュニケーションを行うWEB2.0の世界が強みです。とにかくCG制作が強みです。
商品の価値は、品質・価格・納期で決まると私は考えています。弊社は、この3つのバランスが非常にいい。日本国内の1/3の値段で納期・品質も満足していただける商品を作っています。世界中の優秀なクリエイターと世界中のお客様を相手に今後も頑張っていきたいと思います。
また今年の目標は、目先の売り上げに振り回されないこと。経営者である前に一人の人間としてどうありたいかをしっかり見据えて頑張りたいです。将来も上海で仕事をしているかは分かりません。好きな街ですが、やはり私の基準は「成長している国」。だから、場所にはこだわらずグローバルな視点で今後も突き進んでいきたいと思います。